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仙台高等裁判所 昭和35年(う)195号 判決

主文

本件検察官並びに被告人の控訴をいずれも棄却する。

当審における訴訟費用中証人馬場久子に支給した分は被告人の負担とする。

理由

本件各控訴の趣旨は、記録に編綴の福島地方検察庁白河支部検察官事務取扱検事佐藤貫一名義並びに弁護人片岡政雄、同重松蕃、同長田弘各名義の控訴趣意書の記載と同じであるから、いずれもこれをここに引用する。

当裁判所のこれらに対する判断は次のとおりである。

検察官の控訴趣意中第一(事実誤認の論旨)について、

原判決が本件公訴事実中、被告人が資料室において、田中宣子の前胸部を手けんで突いたとの点については証拠が十分でないので認定しない旨理由中に判断し本件公訴事実中一部につき認定しなかつたことは所論のとおりであり、本件公務執行妨害の公訴事実中公務の内容、法的根拠等に関する釈明の趣旨を含む検察官の冒頭陳述によれば右暴行は当日午前八時一五分ころより同三〇分過ころまでの間、朝会に出席しようとする田中教諭に対し四、五回加えられ、同女が追いつめられたため朝会に出席できなかつたというに在るところ、原審及び当審証人田中宣子の各供述記載によれば同人は「被告人から右拳で水落ち辺を軽く四、五回突かれその都度後退した、踪み止まれたが被告人の態度が恐ろしくオルガンの辺まで後退した」旨述べるに対し、被告人は原審で「右人さし指をのばしゼスチアとして上下したにすぎない」旨否認しており、田中の各証言(第一、二回)によつても、同女が本件の翌日校内で組合支部書記長橋本武夫から本件につき事情を聴取された際作成されその記載内容を読んできかされた上で署名押印したこと明らかな、聴きとり調書と題する書面(証第五号)によれば、右の点につき、「意見の相違から被告人が激昂しこれほど言つても俺の言うことが判らぬかと拳を握つてゼスチアとして手を振つたのが胸にふれたという程度のもので悪意をもつて意図的に突いたとは思われない」というのであり、これを教室内で暴行を受けた点については同書面中に明言していることと対照すれば、原審及び当審における田中の、右のごとく述べたことはないとの弁明に拘らず、前記田中の各証言中被告人から突かれたとの点はこれを措信し難い。仮りに右田中証言のとおりとしても、原審及び当審における田中の各供述記載によれば、資料室での右暴行は被告人と田中が同室で暫らく押問答した後、朝会のベルが鳴る直前のころなされたものであり、その際押問答中の田中には未だ朝会に出席せんとする言動はなかつたのであるから、同人に対し暴行が加えられても所論のごとく同人の朝会に列席する公務を妨害したということはできない。以上の次第で資料室での暴行を認めなかつた前叙原判決には所論のごとき事実誤認はなく、論旨は理由がない。

片岡弁護人の趣意中第一点について

原審公判調書によると原審第六回公判期日において検察官は所論水野一美の検察官に対する供述調書を刑訴法第三二一条一項二号により、所論熊井徳衛の司法警察員に対する供述調書を同条同項三号により各証拠調の請求をしたのに、原審はこれらの取調べを留保したこと、同第七回公判期日において、弁護人は右証拠調に対し右各書面に証拠能力のないことを理由に異議の申立をしたのに拘らず、原審が同八回公判期日において右異議申立を棄却し右各書面の証拠調を施行しこれらを原判決に採証していることは所論のとおりであるところ、水野一美の検察官に対する供述調書については、同人がさきに原審第四回第五回公判期日でした証言は同供述調書の供述と相反し、また実質的に異つており、且つ右証言と対比し、同供述調書の内容を精査し従前証拠調された証第二号(議事録綴)及び回答書(三六〇丁)等をも参照するとき右証言よりも右供述調書の供述を信用すべき特別の状況の存することが認められる。又、熊井徳衛の司法警察員に対する供述調書についても、同人は検察官が同調書の取消を請求した以前に死亡しており、同調書の供述内容は本件犯罪事実の存否に関連性があり同事実の証明に必要と思料され、且つ供述内容自体によつてその供述がなされた際における、特に信用すべき外部的な付随事情の存在を推知することができる。

されば右各供述調書は夫々刑訴法第三二一条一項二号又は三号の要件を充足するものということができるのであり、これらの要件の存否については、右に述べたところから明らかなごとく、特段の証拠調をなすを要しないというべきであるから、この点につき証拠調をなさず、弁護人の異議申立を棄却し右各供述調書につき証拠調を施行し、これらを原判決に採証した原審の措置には所論のごとく証拠能力なき証拠を断罪の資料に供した違法はなく、従つてまた原判決には所論のごとく虚無の証拠に基づく理由の不備ないしそごの違法も存しない。論旨は理由がない。

片岡弁護人の趣意中第三点の(一)、重松弁護人の趣意中第一点の前段について

田中教諭が当日午前八時ころ、担当の一、二年合併教室で指導監督に当つた児童の自習及び教室の清掃は原判決挙示の各証拠、昭和二六年度版学習指導要領一般編(証第一七号)等によれば、学校が児童の各教科の学習に役立たせ、又は児童の生活体験に資するため、いずれも教育的に価値ありと判断して、授業開始前午前八時から午前八時一五分までなすべきものとして計画し実施している教育活動であり、たとえ右自習等の時間が教科及び教科外活動に配当された年間総時間数に計上されていず、具体的にカリキユラムとして編成されていないとしても、このことは単に、教諭が他の校務を遂行する必要ある場合には、直接、児童の指導監督に当らず、その自主的学習に委ねることを許されているまでのことで、右自習及び清掃が性質上、学校教育法施行規則第二四条(昭和三三年八月改正前)前記学習指導要領に定める教育課程に属することを妨げず、(右規則の改正後においても同様)児童の教育の職務権限をもつ教諭(学校教育法第二八条)がこれを指導監督することはまさにその職務といわなければならない。されば原判決が田中教諭の前記自習及び清掃に対する指導監督を同人の職務と認めその公務性を肯定したのは正当というべく、すでに、右指導監督が同教諭の職務である以上、現に、その職務に就いた時刻がその職務開始時間と定められた午前八時より多少早かつたとしても、同教諭の職務たることに何ら消長を及ぼすものではない。それ故原判決には各所論のごとき法令の適用を誤つた違法等は存しない。論旨はいずれも理由がない。

片岡弁護人の趣意中第二点の(二)の(2)、重松弁護人の趣意中第一点の後段について

公務執行妨害罪が成立するには、公務員が「その職務の執行に当る」状態の下にあることの認識を必要とすることは所論のとおりであるところ、原判決引用の原審証人田中宣子に対する各尋問調書によれば、田中教諭は朝の自習及び清掃の指導監督を開始すべく、午前八時ころ、それまでしていた被告人との押問答をやめて職員室を出て担任の一、二年合併教室に赴き教室内の児童に向い「一年生は自習、二年生は掃除をしましよう」と黒板に記載してある問題を示して(第二回証言)指示し、その指導監督の職務を開始した際、被告人は同女の後を追い同教室の北側出入口のところに来ており、同女が教室東南隅に備えた事務机に就いたところ、被告人は同女から二、三歩遅れて同人の側に迫り判示のごとき暴行を加えたことが認められ、右認定に反する被告人の原審及び当審での各供述は措信し難い。右事実によれば、田中の直ぐ背後を追つて来た被告人は田中が児童に対し右のごとく指示するのを見聞したことが窺われるのみならず、教室内の児童は田中の指示によりそれぞれ自習又は清掃を始め、この状況は同教室内に入つた被告人にも判明したことが推認され、これに反する被告人の前記各供述は措信し得ない。以上によれば、被告人は右暴行に際し同教室内の田中教諭が児童の行う右自習及び清掃を指導監督する事務に就いたこと、及び右事務の遂行が右教諭としての職責に基づくことは同僚教諭たる被告人において十分これを予知していたと認められるのであり、被告人に所論公務執行妨害罪の故意の存すること明らかで原判決には各所論のごとき事実誤認はなく、論旨はいずれも理由がない。

片岡弁護人の趣意中第二点の(二)の(1)について

原判決引用の田中宣子に対する証人尋問調書(第一回)によれば田中が職員室から担当の教室に行つた時刻は午前八時ころであることが認められる。同証言によれば、同人は職員室を出る際、同室の柱時計(原判決引用の検証調書第一回目)を見て午前八時になつたのを知つたといい、その直前の午前七時五〇分ないし五五分ころ五、六年生数名が朝の清掃のため職員室に来たというところ、右五、六年生が職員室に来たのは、学校で日課として実施している午前八時からの清掃のためであるから、同証人のいう時刻のころと思われる点をも考慮すれば、田中が職員室を出て担任教室(その間徒十数秒)に到つた時刻についての同証言はこれを措信するに足りる。所論被告人の原審における供述によれば、右の時刻は午前七時四〇分であるといい、所論原審証人鈴木久子(当審証言も同趣旨)によると、鈴木教諭は午前七時五五分に登校し職員室に入つたが同室には被告人と田中教諭はいず、隣室の資料室に右両名のいる気配がしたというところ、これらに基づき所論は午前七時五五分ころには、すでに被告人と田中は教室から資料室に来ていて田中が教室に行つたのは午前八時以前であつたと主張するが、右田中証言によると、鈴木教諭は被告人と田中が職員室で押問答している際、登校し職員室から担任教室に赴いたものであり、鈴木は資料室内の被告人と田中を現認したわけでなく、右各証拠は措信できない。所論熊井徳衛の司法警察員に対する供述調書はこれを右田中証言と総合してみれば、熊井教諭は被告人と田中が職員室の各自の机に向い合つて押問答しているのを見、午前七時四五分過(田中証言は同五〇分という)に清掃の時間になるので職員室を出たこと、被告人と田中は熊井が職員室を出た後同室の火鉢のところでも押問答していることが認められるのでこの時間をも考慮すれば、むしろ右田中証言を補強こそすれ、所論を支持するとは思われない。それ故原判決には所論のごとき事実誤認はなく、論旨は理由がない。

片岡弁護人の趣意中第二点の(一)について

しかし判示村教育委員会が隈戸小学校における当日の授業を二校時で打ち切り他の授業は後日に繰替える旨決議し、被告人がこの旨田中教諭らに伝達したことが仮りに被告人の教員としての公務であつても、かかる事項は本件の罪となるべき事実ではないから、これを判示しなくとも所論のごとき違法はない。のみならず、原審証人大木喜八郎の供述記載、同水野一美の供述記載、同人の検察官に対する供述調書によれば、所論が公務性の根拠とする、永野教育長が被告人に決議の趣旨の伝達方を依頼したという事実はなかつた(二七二丁裏、一八五丁、二〇五丁等)ものである。同委員会には隈戸小学校長大木喜八郎ら各校長が列席していたので同委員会の前記決議事項は、永野教育長から大木校長らに指示され、同校長はこれを隈戸小学校の職員に伝達すべく、登校しているのであるから、組合代表として同委員会に出席した被告人に永野教育長から、決議事項を告知したことはあつたが、他の職員にその伝達方を依頼したことはなかつたものである。右認定に反する被告人の原審における供述は信用し難い。されば原判決が所論被告人の伝達行為をもつて被告人の公務と認めなかつたのは当然で原判決には所論のごとき事実誤認ないし理由不備等は存しない。

重松弁護人の趣意中第二点について

被告人の本件所為は組合の団結統制力の行使として正当行為である旨の所論原審弁護人の主張に対し原審は、これを否定する判断を示しているのであつて、右判断を示すに当り、所論のように、本件所為につき市民的自由の逸脱として刑法第三五条の適否を論じたか或は憲法第二八条労働組合法第一条二項の趣旨を考慮してなほ団結法上の正当性を否定したのかを明らかにしなくとも、判断を遺脱したということはできない。論旨は理由がない。

片岡弁護人の趣意中第三点の(二)、重松弁護人の趣意中第三点、長田弁護人の趣意中第三点の(二)について

原判決挙示の各証拠によれば、原審が罪となるべき事実として判示した事実を認めることができる。而して、被告人の本件所為には福島県教職員組合の勤務成績評定の実施等に反対する斗争に関連し同組合役員である被告人が組合の統一行動に非協力的な組合員田中宣子の態度に憤慨して行つた面もあることは原判示のとおりである。そして地方公務員法第五八条によれば教職員組合の組合活動については労働組合法の適用を全面的に排除していて所論労組法上の刑事免責規定の適用ないし準用の余地はなく、唯、地方公務員法第五二条ないし五六条、教育公務員特例法第二五条の六により右組合には団結権のみが認められているところ、被告人の本件所為が一面において所論のごとく組合の団結統制力の行使としてなされたと仮定しても、その行使には説得による等自ら限度があり、判示のごとく公務の執行を妨害するがごときは、その限界を超えるもので、もとより被告人の本件所為を正当ならしめるものではない。又被告人の本件所為をもつて抵抗権の行使となす所論も採用し難く、その他記録を精査しても所論超法規的違法阻却事由の存在を認めることもできない。それ故、原判決が弁護人らの原審におけるこれらについての主張を排斥したのは正当で原判決には各所論のごとき事実誤認ないし法令の適用の誤りは存せず、各論旨はすべて理由がない。

重松弁護人の趣意中第四点について

原審公判調書を調査しても、所論期待不可能性についての主張はなされていないから、これに対し原審が判断を示さなくとも、判断遺脱の違法は存しない。又記録及び証拠を精査して被告人が本件所為に出た際における一切の事情を考慮した上、所論のごとく被告人の属する組合員の立場においてではなく、通常人の見地に立つて検討すれば、被告人に対し適法行為を期待し得ないとは認め難い。それ故、原判決が被告人の本件所為につき期待不可能性を肯定しなかつたのは正当で、原判決には所論のごとき事実誤認は存しない。論旨はいずれも理由がない。

片岡弁護人の趣意中第二点の(三)、長田弁護人の趣意中第一点ないし第三点の(一)について

所論原判決引用の原審証人田中宣子に対する各尋問調書中の供述内容を同証人の原審公廷における証言をも含め、しさいに検討し、関係証拠とも対照し、被告人も認めるごとく従来被告人と同証人とは不仲の関係になかつた事情をも考慮するとき、同証人の右各供述内容は、資料室における暴行の点を除き、少くとも大綱においてはこれを措信するに足り、所論のごとく、目撃証人の存しない事実は右判断を左右しないし、また、同証人が所論のごとく人格的に欠陥を有するとか、悪意をもつて誇張して証言しているとかの事跡を認め難い。而して原判決挙示の各証拠、とくに右各尋問調書によれば判示公務執行妨害の事実とくに所論暴行の事実を認めるに十分である。即ち被告人は判示のごとく教室内の事務机に向い腰をおろした田中宣子に近ずき、同女の右手首を右手でつかみ、無理に教室外に連れ出そうとして引つ張り、そのため同女が椅子とともに床に倒れたのを、なほもその手首をつかんだまま、廊下に連れ出し、さらにその手を引つ張つて廊下を東方に約六米隔たつた同校資料室に連れ込む等の暴行を加えたこと及び被告人に右暴行の故意のあつたことが認められ、右暴行が田中教諭の判示職務の執行を妨害するに足りる程度のものであること論を俟たない。所論は右暴行の事実を争い種々論難するけれども、前記田中に対する各尋問調書により認められる。被告人は職員室で組合活動に非協力的な田中の態度等に憤慨し同女を難詰し同女と押問答をしたこと、田中が職員室を出て担当の教室に赴くと、被告人は直ちに同女の後を追い同女の後から右教室に入つたこと、被告人は同女に対し「まだ話が終つていない」と語気強く言つていること、同女が生徒が見ているからやめるよう制止したのに同女の手首をつかんだこと等の諸事実は、被告人の暴行についての右認定を支持するに足りる状況ということができる。以上の認定に反する所論各証拠は措信し難い。なほ原審は被告人が倒れたのを、そのまま引きずつたとは認定していないのでこれを前提とする非難は当らない。その他の所論もとうてい採用し得ない。

以上の次第で原判決には所論のごとき事実誤認ないし法令の適用の誤りは存せず、論旨はすべて理由がない。

検察官の趣意中第二、片岡弁護人の趣意中第四点(各量刑不当の主張)について、

各所論に鑑み、記録を精査し当審における事実取調の結果により本件の情状を検討するに、(1)本件公務執行妨害の所為は教室において学習中の多数の児童の面前で、職務執行中の女教師に対しなされたものであり、児童の徳性を著しく害し、教師に対する児童の信頼感を喪わしめる結果を招来したものといわなければならないが、他面、(2)本件暴行は検察官所論のごとく組合役員たる被告人によつて組合活動に非協力的な態度等を採つた被害者田中に対し、私的制裁として加えられたものではなく、教室から同女を連れ出し同女の非協力的態度等を難詰するために行われたものであること、(3)被告人が被害者田中に謝罪し円満解決をみた故不起訴処分を願う旨の被告人、田中夫妻及び大木校長連名の上申書が本件起訴の数日前に検察官宛提出されており、当時、被害者田中は本件暴行を宥恕したものであること、(一三六丁、二〇九丁裏、七六一丁以下)(4)被告人は執行猶予付の禁錮刑に処せられても教職を免ぜられ、教員免許状を剥奪される不利益を免れないものであることがそれぞれ認められ、その他被告人の経歴、家庭事情、本件犯行の動機、態様、暴行の程度方法、犯行後の情況その他諸般の情状を綜合して考察するとき、所論被告人を禁錮二月に処し、一年間その刑の執行を猶予した原審の科刑を目して、検察官の主張するごとく、軽きに失し不当であるといい難いし、また、弁護人の論ずるごとく重きにすぎる不当があるものということはできない。論旨はいずれも理由がない。(片岡弁護人の右論点中被告人の本件所為をもつて無罪とし或は単純暴行にすぎないとする主張の理由のないことについては前段各論旨に対する説明を参照。)

よつて刑訴法第三九六条により本件各控訴を棄却することとし、当審における訴訟費用の負担につき同法第一八一条一項本文を適用して主文のとおり判決する。(昭和三五年一一月二四日仙台高等裁判所第二刑事部)

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